満蒙開拓平和記念館に行ってきました⑤(弁護士深谷直史)

振り返り
満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その①)

満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その②)

満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その③)

満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その④)

 

8 開拓団の悲劇⑵~残留孤児・残留婦人~

子どもというのは、逃避行をする際の足かせとなる存在でもありました。
長くて辛い逃避行をする中で、どうしても子どもを連れていくことができない親が出てきます。
殺されなかった子どもの中には、やむを得ず棄てられていく者もいました。
現地民の家の前に置き去りにする、知り合いの現地民に懇願して引き取ってもらうなどの形で、たくさんの子どもたちが逃避行の末に棄てられました。
親が殺されたり栄養失調で亡くなったりして孤児となる子どももいました。
内地への引き揚げができなかった子どもたちは、残留孤児として、戦後に中国人養父母に育てられるなどして大陸で生活を続けることになります。

開拓団の女性にも、現地民に売られたり無理やり結婚させられたりして帰国がかなわなかった人がいました。
彼女たちは残留婦人と呼ばれています。

中国残留孤児や残留婦人は、戦後長らく日本政府による調査がされていませんでした。
中国との国交がなかったからです。
1972年の日中国交正常化以降、民間団体の運動による働きかけもあって、1981年からようやく本格的な身元調査が始まりました。
現在までに、約6700人が帰国しています。

戦後に残留孤児・婦人国賠訴訟が提起されましたが、最後まで裁判所は国の責任を認めませんでした。

この記事を書いた人

目次