満蒙開拓平和記念館に行ってきました④(弁護士 深谷直史)

振り返り
満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その①)

満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その②)

満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その③)

 

7 開拓団の悲劇⑴~集団自決~

ソ連軍が侵攻し、日本軍も助けてくれない状況で、飢えと寒さに苦しんだ末に集団自決をする開拓団もありました。博物館では、集団自決の中を生き延びた方の証言も紹介されていました。
以下の証言は私の記憶の範囲で書いていますが、どれも戦争の非情さを物語っています。

辛くて長く、終わりの見えない移動です。食料もなく、病気も流行り始めてしまいました。
親が子どもに「お前はののさまのところに行くんだな。」と問いかけて、子どもが頷いたところを両手で子どもの首を絞めて殺した証言もありました。
ソ連兵がどんどん後を追ってくる中、子どもがいると速やかな移動ができないので、真っ先に殺される対象となったのでした。

開拓団員みな集団自決をする中で一人だけ生き延びた方のお話もあります。
開拓団員同士ピストルで撃ち合って自決している中で意識を失って、大雨が降る中で目が覚めて起き上がると、周囲には団員の死体がごろごろと転がっており、生きているのは血まみれになった自分一人だったそうです。

集団自決を回避した開拓団の証言もあります。
団員全て集まって銃などの武器を持ち寄り、集団自決をしようとしているところに、現地民の長がやってきました。
最近まで日本人にこき使われていた憎しみの感情もあったでしょうが、その人は必死に団員を説得してくれました。
その結果、その開拓団は集団地決をなんとか思いとどまって、生きて帰ってこられたそうです。

幼い妹と二人だけで必死に逃げて、栄養失調で衰弱していく妹に何もすることができず見殺しにしてしまった証言など、開拓団に参加したばかりに大切な家族と死に別れたお話も多く残されています。

戦争の悲しさを伝えるこれらの証言は、満蒙開拓平和記念館で見られますので、ぜひ記念館まで足を運んでいただけたらと思います。

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