満蒙開拓平和記念館に行ってきました⑦(弁護士深谷直史)

ふり返り

満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その①)
満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その②)
満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その③)
満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その④)
満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その⑤)
満蒙開拓平和記念館に行ってきました(その⑥)

11 悲劇は引き揚げ後も

引き揚げをして故郷に戻っても、家や土地はすでに処分してしまって何もありません。
舞鶴港にようやく到着してすぐに「ところで、あなたたちはどちらに帰られるのですか。」との質問に呆然としてしまった、という証言も残っています。
結局、県外に出稼ぎに出る方が多かったようです。
帰国できたあとも、就労面などで差別に遭うケースが相次ぎました。
残留孤児に関しては、幼いころに棄てられたがために日本語の話せない者もいました。

政府は、開拓団が帰国した後も十分な対策をすることがなかったため、内地でも貧しい生活を強いられた人々もいたようです。
2002年に、中国残留邦人が国を訴える裁判を起こしましたが、国は最後まで責任を認めず謝罪をすることもありませんでした。
裁判所も国の責任を認めず、一連の訴訟は原告が取り下げる形で終了しています。

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