9 開拓団の被害実態
ソ連軍の侵攻、現地民からの襲撃、逃避行の飢えと寒さと病気で、多くの人が犠牲になりました。
開拓団約27万人のうち、約8万人が命を落としました。
満蒙開拓平和記念館のある阿智村で結成された阿智郷開拓団に至っては、団員190人のうち生きて日本に帰国できたのは、たったの47人だったそうです。
10 引き揚げまで
当時の日本政府は、開拓団の引き揚げ協力に消極的な姿勢を取っていました。
「開拓団は出来得る限り現地民と共生すべし。」といった内容が当時の文書にも残されています。
国策のため開拓団を送り込んだ日本政府が、終戦後の開拓団支援や帰国に無関心であった事実が伺えます。
命からがら生き延びた開拓団は、敗戦後しばらくして内地への引き揚げを開始します。