沖縄平和学習②

1月19日 ひめゆりの塔 摩文仁の丘 海座

沖縄の太陽は、真冬の朝でもじりじりと照りつけてきます。                      朝食後、よんなーのママさんに、ひめゆりの塔まで送ってもらいました。

ひめゆりの塔の「ひめゆり」は、沖縄陸軍病院に配属された沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校のひめゆり学徒隊にちなんでいます。病院といってもコンクリート造の建物ではなくて、自然洞窟に避難していた地域住民を日本軍が追い出して、その洞窟を病院代わりに使っていました。                                              ひめゆり平和祈念資料館にも行きました。戦争が始まる前は、生徒さんたちは女の子らしい学生生活を謳歌されていたのに、戦争がひどくなるにつれて、髪型も学年毎に強制されて、自由がなくなっていきました。自由や権利に対する侵害は戦争への第一歩であることを確信しました。

昭和20年6月18日の夜、突然、日本軍から解散命令が言渡され、途方に暮れた、とか、弱っている友達を置いて逃げなければなからなった、とか、死のうと思ったけれど死ぬきっかけを逸したので死ねなかった、生徒さん達がいたことを、当時まだ10代だった証言者の方がおっしゃっていました。生徒さんや、先生方や、親御さん方の心中ははかりしれません。

バスに乗って沖縄県平和祈念資料館に行きました。資料館には、それはそれは生々しい写真や映像やジオラマがたくさんあって、沖縄の方々の戦争と日本軍に対する怒りが、もうこれでもか、というくらい伝わってきます。資料館で見た映像が網膜に張り付いてしまい、未だに暗い部屋に入るのが怖いです。宿泊は、「海座」へ。おしゃれです。

「摩文仁の丘から見た海」

(事務局:森上)

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